出張など@東京

*

先々週は静原に引きこもっていましたが、先週はあちこちに出かけました。たまに都会に出かけて満員電車に揺られると、どっと疲れます。東京の人、歩くの早いわー。
東京の不動前の住宅は、見積もりが出そろって内容の査定をして、予算に合わせるために仕様の変更や減額交渉を進めている。地盤調査の結果が出て、地盤改良の必要がなさそうなことがわかって、一安心。
京都の出町柳の住宅は、八月頃の着工を目指して実施設計を粛々と進めています。まずは一番時間がかかりそうなキッチン周りのたたき台図面を作成中。また、1/50の模型をつくって、屋根のボリュームやバランスも検討中。
愛知の津島の住宅は、特命で依頼した工務店の各業種さんに集まってもらって、現場説明や細部の確認など。この計画は工務店によって見積もりの内容にばらつきがでそうなので、特命にしたことが吉と出るか凶とでるか、工務店の反応が気になるところ。

東京出張の合間に、藤村龍至さんのBUILDING Kの見学にお伺いする。今月で事務所を移転してしまうと聞いて、ギリギリのタイミングでお願いして直々に案内していただいた。
ヒューマンスケールの町並みに対し、タワーが並んだような外観を提案することで400坪というボリュームを馴染ませる、とのことだが、既存の商店街に対して超然と鎮座していた。頂いたブックレットに山本理顕さんが「漫然と歩いていると、そこにとけ込んでしまって見過ごしそうな建築」と書かれていて、「ほんまかい!?」と突っ込んでしまいそうになる。

周辺のコンテクストから設計の意図を説明できるのは建築家にとって義務みたいなものだと思うのだが、だからといって見過ごされてしまうようなものではいけない(と僕は思う)のであって、その意味では僕の感じたこの建物のよさは上部の外観ではなくて周辺に設けられた「空地」だ。「超然と鎮座」している感はまぎれもなくこの空地のあることで生まれているし、それは彼の師匠である塚本さんの「アニ・ハウス」ゆずり、僕は一目見て「都心の商店街のヴィッラ」という言葉を連想しました。

もっとも、このプロジェクトの面白さは彼が適用した「設計プロセス」の存在なしに語れないのであって、「飛ばない」「分かれない」「戻らない」という三段縛りの「超線形」実験的設計論の可能性とその成果としてのBUILDING Kについて、またじっくりと議論してみたいと思ったのでした。
最近(といっても一ヶ月くらい前から)、事務所のウェブサイトが新しくなりました。
静原の事務所の場所も、わかりやすい地図になっていますので気軽にお越し下さい。
最後に出版物の紹介を。


新世代建築家・デザイナー100 (エクスナレッジ社)という本の中で紹介していただきました。
100人中僕は92番目、あいうえお順ではモリタはいつも後ろの方です。子供の頃はいつもアリタがよかったなあと思っていました(身体検査や注射でいつも待たされるので)。同じくマ行のミツダさんがちょっと前にいてくれたので、同じ見開きに「Concrete-Pod」と「Shelf-Pod」が紹介されています。

また同じくエクスナレッジ社からの出版で「1995年以後 次世代建築家の語る現代の都市と建築」で、藤村龍至氏によるインタビューが掲載されました。「マイノリティ・インターナショナル」というキーワードで、ローカルな場所を拠点にしながらインターナショナルな価値を持つ創作活動をする、という僕のスタンスをお話しさせていただいています。
以下その詳細。
「1995年以後 次世代建築家の語る現代の都市と建築」
1971 年以降生まれの若手建築家、研究者ら32組へのインタビュー集。都市のインフラの構成が変化し、情報化と郊外化が加速する2000年代の一連の変化の起点として、「1995年」を位置付けた。そうした時期に建築を学び始めた建築家たちにインタビュー(議論の場を提供)し、これからの都市と建築のあり方を探る。本書は、次世代の建築論の基点を宣言する。
■目次
・表紙カバー 植田実 メディアをつくること、残すこと
・藤村龍至 「1995年以後」というコンテクストをとらえるために
・藤本壮介 「生活科学者」をめざして
・平田晃久 泉北ニュータウンから「生命のような建築」を考える
・長坂常 状況を直視して、ぎりぎりまでデザインをしないというアプローチ
・森田一弥 マイノリティー・インターナショナルを目指す
・白井宏昌 オリンピックから都市戦略と建築のあり方を考える
・倉方俊輔 「第3世代」の歴史家として
・満田衛資 工学的思考の本来的可能性を取り戻す
・中山英之 マイクロバスの小ささとリムジンの大きさ
・中村竜治 「飽きない場所」を生むかたち
・吉村靖孝+吉村英孝 自由を得るために・深層をひらく。
・重松象平 スペシフィシティをアイデンティティに変える
・トラフ 日常の気付きを、メッセージに変える
・中村拓志 「おもてなし」のアーキテクチャー
・石上純也 建築そのもののリアリティ
・谷尻誠 伝え続けること
・大野博史 いかにして「ゴール」を目指すか
・TNA 建築の力を証明する
・dot architects 今、ゼロから方法を変える
・松川昌平 世界から秩序が立ち上がる瞬間をつかむために
・北川啓介 インフラに屈せずに、新しい価値を発揮する
・平塚桂 ニュータウン+ネット世代から建築を考える
・田中浩也 「デザイン・エンジニア」を名乗る
・永山祐子 「今、ここにいる」ことを伝える
・藤原徹平 「エンデ的建築家像」をいもって「科学的公共性」をめざす
・勝矢武之 深層から建築家の立場を考える
・柄沢祐輔 「ゼロの風景」へ、「超理論性」を以て介入せよ
・中央アーキ 「新スケープ」から考える
・長谷川豪 「都市と生活の関係」としての建築
・鈴木悠子 設備意匠の可能性
・南後由和 新しい社会学者と建築家の協働のかたちを描く
・ドミニク・チェン 新しいコミュニケーションの力
・大西麻貴+百田有希 マカロニは食べるからすごい
・山崎泰寛 インタビューという方法

← 過去の投稿へ

次の投稿へ →

4 Comments

  1. マイノリティー・インターナショナル ってナニ?

  2. つまり、
    インターナショナルな価値を持つ創作活動
    というのは具体的にどういうことを目指してるのかな~、インターナショナルな価値ってどういうことかな~、
    と思ったの。

  3. もりかず

    建築家って基本的には誰かから注文があって、その要求に応える形で創作をする職業なんだけど、個人的にはクライアントに満足してもらった上に、さらに欲張ってそれを目にした誰かにとっても何か得した気分になったり、別の発想の種になるような、世界にすこしでも影響を与えられるような、そんな仕事をしたいなあと思っているわけです(勝手ながら)。それが「インターナショナルな価値を持つ創作活動」ってことかな。
    まず、モダニズム建築ってのは、その建物の建つ場所の気候とか文化とか関係なく、どこにでも同じように建てられる、という考え方が根幹にあるんだよね。それで世界のどこでもオッケーですよ、という。
    その考え方というか指向のようなものを、世界の多数派をめざすデザインという意味でマジョリティ・インターナショナルなデザインと呼ぶとすると、マイノリティ・インターナショナルってのはもう少し地味で少数派なんだけど、確実に世界に必要とされる存在のことを指していて、そういう領域に興味があります、っている話をしたんだよね。
    たとえば「茅葺き」なんて日本だけの伝統じゃなくて、世界中にあるインターナショナルな技術なわけです。鉄とかコンクリートとか、今では世界のほとんどの地域で手に入る材料だけど、値段が高かったりしてやっぱり茅葺きが一番だね、って地域もマイノリティだけど世界的にはあちこちにある。日本の伝統技術を学ぶことはすごく特殊で狭い世界に埋没するように感じるけど、実はマイノリティでよければインターナショナルな価値がある、広く必要とされる可能性がある、ってことだと思っています。
    建築はどうしても土地に縛られるからか、「インターナショナルな建築家」と「ローカルな建築家」という二項対立的な表現があるんだけど、どちらも両立できるんですよ、と説明するために「マイノリティ・インターナショナル」という考え方は有効かなと思ってます。まあ、なんでわざわざ職人なんてやってたの?京都の山奥に事務所を構えるの?という質問が多いので、ローカルな場所に根ざして活動する意図を説明するためにそんな言葉を考えてみたわけです。
    服飾の世界、特にグローバルなブランドでは「マイノリティ・インターナショナル」な指向って当たり前の話だよね。世界のほとんどの人が気に入るデザインなんて、あり得ないもの。

  4. 結局、おもしろいのはマイノリティ・インターナショナルなデザインな気がする。ファッションでも、建築でも。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です