エスグラフィアド@外壁と玄関

バルセロナの建築の外壁によく見られるのが、左官壁を削ってつくる彫刻壁エスグラフィアド esgrafiado。

まず目につきやすいところでいうと、カサ・バトリョの隣のカサ・アマトリエール Casa Amatller の外壁に大々的に使ってある。

こんな感じで色違いの漆喰を二層に塗って、表面の一部の漆喰を削り落として模様を浮き上がらせるもの。

外壁だけでなく、階段とか玄関まわりにも良く使われている。この左官仕上げは、なぜかガウディの建築にはほとんど使われていないのであまり一般に知られていないのだけど、じつはガウディが活躍した時代モデルニスモの時期にはとても良く使われている。その証拠に、このガウディの隣の建物を設計したのはモデルニスモの巨匠の一人、J.P.カダファルク Josep Puig i Cadafaich 。彼のお気に入りだったのか、彼の建物には特に良く使われています。

もともとはイスラム文化圏から伝わったらしいこの技法は、マドリードに近いセゴビアの街にいくともっと幾何学的で単純な模様が多いのですが、バルセロナは当時フランスのアールヌーボーの影響などがあって、花や植物の模様が多くて華麗な印象。

テトアン広場に面したこの建物の模様は、どちらかというとイスラム風で、バルセロナでは珍しいタイプ。

ある建物の玄関ホール部分。石に見えている壁の仕上げが、実は漆喰仕上げ。これもエスグラフィアドの一種ですが、左官仕上げのくせに石の真似をしているところがエスグラフィアドとしては邪道。


これはかなり保存状態の良いエスグラフィアド。

薄緑と薄赤の二色に着色された繊細なデザイン。

デザインも個性的で面白い。

これはランブラ・デ・カタルーニヤ通りにある、以前もこのブログで紹介したことのあるエスグラフィアド。

この壁の凄いところは、繊細な彫刻を施した上にさらに塗装で大理石の模様を描いてしまっているところ。ここまでやると邪道を通り越して、拍手喝采を送りたくなります。

まじまじとその丁寧な仕事ぶりに見とれていたら、掃除をしていたおばちゃんが天井を指して「これも偽物なのよ」と教えてくれて仰天する。まじですか?確かにおばちゃんの指の先をよくよく見ると、箒が当たって小さく欠けたという部分に、白い漆喰がのぞいていました。偽物も、トコトンやれば実物を超える、のかも知れない。

そしてこちらはポブレ・セク地区で見つけた黄色と薄緑のエスグラフィアド。この地区は今では移民が多くてちょっと強面の兄ちゃんが多い、どちらかというと庶民的な地区なのですが、実はエスグラフィアドがたくさん見つかる地区。

この模様は何回か見たことがある。どこかで型紙でも売ってたのだろうか?それとも同じ左官屋さんの仕事?

サグラダファミリアの近所で見つけたかなり強烈な色合いのエスグラフィアド。とはいっても、腰壁部分はペンキの色で、オリジナルは上のほうの上品なパステルカラー。

建設年が1918年と描いてあって、おそらく建設当時の壁だと思われるので、もう100年モノのエスグラフィアド。漆喰に混ぜられた砂の粒子が細かいので、模様の輪郭がこれまで見たどの事例よりもシャープ。たいていの場合、修復時に表面にペンキを塗られてしまっているものが多いのですが、ここは珍しくオリジナルの漆喰の色を見ることが出来る。100年経ってこの美しさ、完成当時の様子を見てみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひなたぼっこ@路上

サグラダファミリア前の公園では、毎週土曜日におじいさん達が集まってゲーム三昧。

路上のベンチも、日が当たる時間になるとひなたぼっこにお年寄りが集まってくる。

家の近所に出来た新しいおしゃれなカフェ。椅子が学校用のパイプ椅子を使っていたりする。

パンとスイーツもたくさん。家での作業が煮詰まるとここに来て、道行く人や路上でひなたぼっこする人を眺めています。
ここ二週間ほどヨーロッパを覆っていた寒波もようやく緩んできて、バルセロナらしい陽気も戻ってきました。

子供の学校生活@バルセロナ

バルセロナでの子供たちの学校生活について、四年ぶりの再レポート。

我が家の子供たちの通っている学校はEacola Miralletesといって、幼稚園から小学生(4歳から11歳)までを対象にした学校。ウェブサイトもあります。こちらの学校は九月に始まり六月に終わり、夏休みは約三ヶ月!長過ぎて休みの間に子供の頭が空っぽになってしまうのでは、と心配になるくらいの長さです。学年の狭間なので基本的に宿題もなし。

ちなみに同じ学年になる子供は、同じ西暦の年に生まれた子供。だからスペインでは子供の生まれ年を聞けば、どの学年かわかるようになっています。これはわかりやすくてありがたい制度です。

学校は朝9時に始まります。扉は9時きっかりになるまで開かないので、9時前になると学校の前に子供たちと送り迎えの親たちの人だかりが出来るのは、以前から変わらない光景。

9時になって鉄の扉が開くと、子供たちが一斉に中になだれ込んでいきます。6歳以上の子供たちは直接教室へ、4歳5歳の子供たちは、親からすんなり離れられない子供も居るので、中のパティオで先生たちが出迎え、親とのお別れをして子供たちの人数が揃って落ち着いてから、教室に向かう。そのお別れの様子が何とも微笑ましい。

一日の時間割はこんな感じ
9:00~12:30 午前の授業(三時間半)
12:30~15:00 昼休み(いったん帰宅して昼食)
15:00~16:30  午後の授業(一時間半)

4年前は午前の部は12時までだったので、30分短くなったわけですが、それでも昼のシエスタが2時間半!もあるわけです。

スペインは昼食が遅めなので、大人も昼食前におやつのようなものを食べる習慣がありますが、子供達も同様。果物とか飲み物とかクッキーとかを各自持参して、教室で休み時間に食べています。

給食は申し込み制ですが、月に一人100ユーロという結構な額の費用が必要なので、食べる子供は一部だけ。この時間は先生も昼休みで帰宅して居ないので、2時間半の昼休み中の子供たちの食事と遊び(と昼寝?)の面倒を見る臨時の職員の費用も必要だからです。

ちなみに親が行き帰りのお迎えにくるのは小学校の低学年までで、高学年になると親の承諾があれば一人で登下校することも出来ます。子供たちが小さかった前回は、午前の登下校で2往復、午後の登下校で2往復する必要があり、待ち時間もあわせて片道15分としても一日2時間以上が送り迎えに費やされることになり、大変な負担でした。今回は送り迎えが無くなって、ずいぶん楽になりました。

学校は塀とフェンスに囲まれた閉鎖的なつくりで、校舎の隣にはフットサルコートくらいの大きさの運動場もあります。プールの授業などは、近くの公立のスポーツセンターに行って専門のインストラクターに教えてもらいます。

この学校は地域柄なのかどうか相変わらず移民が多く、スペイン人はむしろ少数派(三〜四割くらい?)で他は南米、アフリカ、中国、東欧からの移民の子供達です。別に移民ごとに派閥があるわけでなく、多少の言葉の壁はありますが、親も子供も和気あいあいと仲良くしています。

あと、こちらの学校で面白いのは、落第が多いこと。始業式前に落第を言い渡されて、毎年数人の子供が同じ学年を繰り返すことになります。子供にとって同学年の友達と離れるのはつらいので最初は泣いている子も居ますが、よくあることのようでしばらく経つとケロッとしています。移民が多くて、同学年でも言葉の習熟度にも差があるスペインのような国では、毎年無理して進級させる方がよっぽど酷でしょうし、個人差のある子供の成長にあわせて学べるいい制度だなと思うようになりました。

こちらは中2の娘の通うInstitut Juan Manuel Zafraという名の中学校。レンガづくりの立派な外観の建物で、歴史を調べるともとは1911年創立の職業訓練学校だったことがわかりました。

昔の生徒たちの写真がこれ。今通っている生徒たちと同じくらいの年齢ですね。今の中学生はもっと大人びていて、娘によると化粧しまくりピアス開けまくり授業中にガム食べまくりだそうで、かなり雰囲気は違います。日本の中学校だったら「荒れている」とか「学級崩壊」とか言われそうですが、スペインでは先生が生徒に規律を押し付けるわけでもなく、生徒も先生に対して反抗しているわけではないので、授業をするのに差し支えは無いとのこと。

中学校の時間割は小学校とちょっと違っていて、こんな感じ。
8:00~13:30 午前の授業(五時間、月曜のみ9:00~)
13:30~15:30 昼休み(いったん帰宅して昼食)
15:30~17:30(二時間、月火木曜のみ)

朝は基本的に8時から授業開始なので、小学生に比べて結構早起きが必要。しかも午前は5時間という長丁場。
ただし、月曜日は例外で、授業開始は9時から。月曜日の前の晩は遊びを控えて早く寝ようとは考えず、目一杯遊ぶために授業開始は遅めで、という何ともスペイン人らしい遊び中心のスケジュール。

昼は小学生と同じように家にいったん帰宅。3時半から午後の部が始まり、5時半に終了。
うわー、ハードスケジュールだなあと思ったら、普段の授業時間が長い代わりに水曜日と金曜日は午後の授業がありません。
何でだろう?毎日同じ時間帯でやればいいのに。スペインの学校生活の大きな謎の一つです。

石の鏝@ブルキナファソ

スペインの建築誌 Arquitectura Viva を図書館でパラパラ見ていたら、ある号の表紙に目が釘付けに。

アフリカらしき国の女性が土壁のに向かって作業しているように見える写真で、手元をよく見ると黒い石が。つまり石を金属製の鏝(こて)の代わりに使って壁を平らに仕上げているのです。

おお!これはまさしく数年前にモロッコで見た、石で磨いて仕上げる漆喰「タデラクト」と同じ。モロッコだけじゃなく、アフリカには今でもあちこちに石を使って壁を仕上げる技術が残っているのですね。

「石の鏝」に僕が注目するのは、それが金属製の道具が生まれる前、非常に原始的な左官技術の名残だと考えているからです。例えば5000年前のエジプトのファラオの墓の壁画の下地の漆喰壁も、石の鏝で仕上げた可能性が高い。平らな金属の鏝は平らな面は効率よく仕上げられるのですが、曲面となると途端に使いにくくなります。そして、実際に作業してみるとよくわかるんですが、石の鏝ってのはいろんな曲率の面が周囲にあるので、平面も曲面もどんな面でも対応できます。つまり、原始的な道具というのは実は万能な道具でもあるのです。

この壁塗り作業をしているのは、ブルキナファソの学校建設のプロジェクトの現場で、ブルキナファソ人でドイツで建築教育を受けたフランシス・ケレという建築家の仕事。昨年夏に滋賀県立大学で建設したドームと同じく、ソイルセメントレンガを使って建設されていて(同じセメントレンガとは思えないほどレンガの色が違う!)、天井部分にはカタランボールト工法とよく似た工法でボールト状にレンガが積まれています。スペインで僕が色々と興味を持っているレンガボールトが今でも世界のあちこちで使われている好例、勇気づけられます。

修道院ホテル@サンタ・マリア・ド・ボウロ

ポルトから電車とバスを乗り継いで二時間ほどの田舎町サンタ・マリア・ド・ボウロに、ポルトガル人建築家エドゥアルド・ソウト・デ・モウラ (Eduardo Souto de Moura)によって、10年もの期間をかけて改修された修道院ホテル(ポルトガルでポウサーダと呼ばれる国営ホテル)がある。4年前、EMBTの同僚とブラガの街まで来てあの有名なスタジアムは見たものの、時間切れで辿り着けなかった念願の建築。

ブラガの街からブドウ畑と美しい民家を遠目に見ながら山道をバスで走ること30分あまり、この建築があるボウロの街に着いた。バス停の前がすぐ、ポウサーダ。左側の教会は今も現役で、右側の修道院が改修されてホテルになっている。

エントランスのホテルの文字。デカい看板を挙げるなんて野暮なことはしない。

コールテン鋼の格子の扉。

光の影になったエントランスから見ると、視線の向こうには中庭があり、眩しい光が射している。

中庭の手前左側に階段があり、そこをあがるとホテルのガラス扉がある。

最初のエントランスホール。薄暗い大きな部屋の中央にアンティークの大きなテーブル。奥の窓の向こうに見えるのは修道院のパティオ。

ここから修道院のパティオを横目に見つつ、右に曲がった部屋がようやくレセプションのある部屋。

レセプションルーム。こじんまりとした、しかし印象的な赤い大理石(おそらくイタリア産)のカウンター。

見学の許可を得てその先に進むと、三つの部屋をつないだ大広間があり、それぞれ前室、バー、暖炉が置かれてる。目線の先には現代の作家による赤い抽象画が飾られている。

この三室をつなぐ壁の開口が抜群に良い。それぞれの空間を孤立させることなく、適度に分節している。石の構造的な性質から考えても、これが石造で可能だとは思えないので、改修時に鉄骨か何かで補強してこのような開口が可能になっているのだと思うのだけど、新しい素材はあえて見せずに以前と同じ素材で仕上げつつ、現代だからこそ可能な空間を実現している。


バーのある部屋に面してパティオに出る扉がある。この真鍮で出来た(おそらく)繊細な建具のフレームワークが素晴らしい。枠も鍵もハンドルもすべて特注品。



パティオの中央には左右から水が流れ込む泉があり、イスラム庭園の影響を感じさせる。そしてそれを囲むローマ風の列柱廊。


列柱廊にはかつての上家はなく、壁が一枚独立して立っているだけ。オレンジの実がたわわに実っている。

 

 

三連の部屋からパティオに沿って左に折れると、南の庭に面したサロンがある。

ここでも視線の先に赤い抽象画がある。

この建物の天井はすべて、茶色いコールテン鋼で覆われている。

サロンの先に進む階段も、再び赤大理石。

その次の部屋はビリヤードルーム。赤い絵画とビリヤード台の緑という、二つの補色が印象的。

そこで振り返ると、通ってきた通路の先に緑色の扉が見える。そして壁に古い木製建具が飾られている。

ビリヤードルームの先にトイレ。

トイレの扉の両脇の壁に絵が飾ってあるなあ、と思ったらシザのスケッチでした。そして、それがトイレの男女を示しているのでした。なんとおしゃれな!

シザ事務所のイトウさんによると、シザは打ち合わせ中に煮詰まったりすると、思考が滞ることがないように図面に端やそこかしこに人間や動物のスケッチを描き始めるそうだ。女性の裸は、よく現れるモチーフだそうで、非常にのびのびとした線で描かれている。

 

また、これは別のトイレで撮った男性側のスケッチ。兜みたいなものをかぶった男性が、お尻をこちらに向けている。緑青によく似た緑色の扉は、どんな仕上げか塗装なのか、見当がつかず。

 

突き当たりは食堂になっているが、その手前にもうけられた服掛け。

一筆書きのようなシンプルなハンガーも、おそらく建築家のデザインによるもの。

 

花崗岩がそのまま現れた食堂の内部。ここでは天井がコールテン鋼でなく、木造の梁組と野地板の現しのままになっている。



食堂の一番奥は、高い塔のような壁の天窓から光が落ちてくるようになっている。

ここで、ランチのメニューも紹介してみる。

まず、ピカピカの黒オリーブが出てくる。

そして前菜がコロッケと生ハム。

ポルトガルの典型的なスープ、青菜を加えたじゃが芋のポタージュ「カルド・ヴェルデ」

メインは、鴨肉と栗と人参のワイン煮と炒めたマッシュルームとほうれん草。

デザートは色々選べるのですが、リンゴのタルトとフルーツをチョイス。

レストランを出て、すぐの扉から南の庭に出てみる。レストランの南側は池になっていた。中央のレンガで積み増しした部分が天窓のあるスペース。

残りは広々としたテラスになっている。

テラスからの眺め。

テラスの下に降りると、プールも。

二階の客室部分にあがってみる。

階段は、オリジナルの部分を出来る限り残して、最低限の補修が施してある。

窓際には、修道院らしく窓辺で本を読んだりするための小さな腰掛けが設けられている。

客室の扉はシルバー。

ハンドル。

廊下の突き当たりの広間。

壁には幅木がない代わりに、掃除で壁を傷つけないための金物が。

修道院前の石畳と民家。

この建物について文章を書きながら色々調べていたら、最後に友人の松本崇氏がグランドツアーで訪れたブログに辿り着いた。興味のある人はぜひこちらも参照して、その密度の高いデザインを堪能してほしい。僕は時間の都合もあって(負け惜しみ)見学して昼食を食べただけで帰ってしまったが、これを読むと、なんと彼はLUXE DOUBLE ROOMに二泊もしているらしい。悔しいではないか。出来ればもう一度、夏にここを訪れてプールに入り、松本氏を悔しがらせてみたい。

写真を拝見すると床の赤い絨毯がなかったり、ここ数年で色々と模様替えもしているようだ。それでも、その魅力が失われるような変更がされていないところが素晴らしい。ポルトガルの現代建築かの作品の中でも知る人ぞ知る名品だが、ぜひ足を伸ばして訪れてほしい、おすすめ建築。

カンパーニャ駅@ポルト

ポルトガルの駅は、シザやソウト・デ・モウラ、カラトラバなど現代建築の巨匠が手がけているものが多くて見所の一つなんだけど、個人的に好きなのがポルトのカンパーニャCampanha駅の屋根。ちょっと調べても誰が設計したのか、わからなかったのですが、乗り換えのたびに見とれてしまうくらい。

一方で、駅舎の方はこのとおりポルトガルの典型的な花崗岩+漆喰のクラシックなデザイン。この駅につける上屋根だから、という理由で中途半端なポルトガル風にするのでなく、思いっきりモダンで合理的な構造を採用する、という割り切りがいいじゃないですか。

 

その結果がこれ。パラソル型のHPシェルを並べただけのシンプルなもの。ですが、それゆえ、美しい。

ホームに落ちる光と、それを受けて鈍く光る屋根の連なり。見事です。

色々な配線が這いずり回って見るに耐えない日本の鉄道の駅も、やれば出来ると思うんですが。

まずは、日本の多くの人が、プラットホームの屋根であっても美しいものであって欲しい、と真剣に思えるようにならないと駄目ですね。そのためにも良いデザインのものは、有名無名に限らず紹介していかねば、とこの文章を書きながら、心を新たにしました。

 

ボウサの集合住宅@ポルト

ポルトの市内を走る路面電車のLAPA駅から南に見える大きなコンクリートの壁が、シザのボウサの集合住宅の目印。低所得者向けの公共住宅だと聞いていたので郊外にあると思い込んでいたのだが、思いもかけず中心部近い市街地にあってびっくりする。

それもそのはず、この住宅は1974年にサラザール独裁政権を倒してすぐの頃に建てられたもので、革命直後の住宅不足を補うために市内の劣悪な状態の住宅を解体して、建設が進められたとのこと。その後長い間不法占拠された後に建設が再開され、2006年にようやく全体が完成したという。

路面電車に平行に大きな壁が立ち、それに斜めに交わるように四つの住宅棟が平行に配置されています。


大きな壁に取り付いた廊下を歩き、壁に開けられた穴のような空間を抜けて、住宅棟のある側に出ます。


住宅棟の反対側から壁側を見たところ。

路面電車と反対側、敷地の南側は交通量の多い道路に面しています。道路と住宅との間に距離をおくため、店舗や集会用の建物が手前に配置されています。

住棟と店舗の間の細い路地のような空間。道路からアプローチする歩行者を招き入れるようなカーブ。

住棟の間の中庭。一階部分の各家の玄関がここに面しています。

中庭に木が植えられているところも。これは、この中庭が面した。道路からの直接の目線を遮る目的もあると思われる。

四階建てのこの建物は、実はそれぞれ一階と二階、三階と四階がつながったメゾネット型の集合住宅です。上のメゾネット部分の玄関は、棟の裏側に面して取り付いた廊下側に設けられていました。

そして玄関部分。シンプルで美しいスチール格子と玄関扉の間に、小さなポーチが設けられている。おかげで住民は玄関先に自由に鉢植えなどを置くことが出来て、安全上閉鎖的になりがちな玄関扉も大きなガラス面がついて、内外が断絶すること無く絶妙なアプローチ空間になっている。これは日本に比べて治安が悪いヨーロッパでは、とても珍しいし素晴らしい提案。

一階玄関側の裏側にあたる、もう一つの中庭空間。このボウサの集合住宅が紹介される時にいつも使われるのが、この整然と階段が取り付いた中庭側のカットです。三階四階のメゾネットへアプローチする廊下と、玄関が見えますが、実は印象的な階段は、一階二階のメゾネットのキッチンにアプローチするお勝手口階段だったのでした。

正面から見るとこんな感じになっています。

季節が冬ということもあって窓やカーテンを閉めている家が多かったのですが、暖かい季節になるともっと家々の生活の様子が垣間見えるのでしょう。一階部分と四階テラス部分には、洗濯物が見えました。夏になると、この階段に腰を下ろして夕涼みする人や、子供たちがサッカーをして遊ぶ姿が見られるそうです。

勝手口の建具の幅はなんと30センチ!ポルトガルに多いちょっと太めのお年寄りにはキビシいサイズのはずですが、ちょっとかしこまった玄関より、ここでの出入りを好む住人はけっこう多く、かなりの頻度で使われるそうです。

二階廊下への階段。道路と線路が平行でないのをこの空間で調整しているために、ゆったりとした吹き抜け空間が生まれていて、廊下と交わる角度が鋭角になっているために視覚的にも面白いアプローチ空間になっている。

シンプルなディテールのお勝手口階段。けっこう急勾配。

二階玄関へのアプローチ廊下。手すりの外側に細長く植栽スペースが設けられている。

玄関格子のデザイン。蝶番の簡潔なデザインがいい。

ガラス窓のディテール。内側に、夏期の日射や熱気を遮る と同時に目線を遮る、日除け扉が設けられている。

シザ事務所に勤務しておられたイトウさんの案内で、ここにお住まいの建築家夫妻の住居にもお邪魔させていただきました。深夜押し掛けての訪問だったので、写真を撮るのは控えておきましたが、内部の家具や建具ももちろんシザ事務所のデザイン。ヨーロッパでは珍しい低めに押さえた天井のスケール感が心地よい空間でした。

こうした集合住宅は、入居次期が同じであるため住民の世代が偏りがちですが、ここボウサでは昔からの住人である老人と、このデザインが気に入ってここに住み始めた若い世代が入り交じって、なかなか面白いコミュニティが生まれているそうです。

サンタマリア教会@マルコ・デ・カナベセス

明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いします。
昨年はブログの更新も滞りがちでしたが、今年はもう少しマメにやっていきたいと思っています。
というわけで、まずは昨年見てきたのポルトガル建築の紹介をひとつ。

ポルトガル北部の街ポルトから内陸に一時間ほど電車で走った小都市、マルコ・デ・カナベセスにアルバロ・シザの設計したサンタマリア教会がある。教会は街が広がる小高い丘の北東斜面に位置していて、駅からもその様子がよく見え、徒歩20分ほどかけてたどり着くと、教会は花崗岩の基壇の上に建っていました。

白い直方体のボリュームから円柱状に端部を欠きとったような、独特の外形。

基壇の上にそびえるような北側からの外観とは対照的に、巨大なエントランス扉のある 南側はなだらかな勾配のある敷地がそのまま広場になっていて、人々が招き入れられるように集まることができる。敷地の斜面をうまく使って、建物の北と南に対照的な表情を与え、教会の崇高さと親密さを両立させようとする意図があるのだと思います。

教会の脇に建つ小さな教会は、以前使われていた街の教会のようです。白い漆喰壁を縁取る花崗岩という典型的なポルトガル建築。この素材の構成は、シザ建築のあらゆるディテールにも受け継がれている。

祭日用にだけ開く大きな扉の右横には、通常のミサの時に使われる扉があり、そこから中に入る。低く抑えられた天井の下、小さなホールをへて左に曲がると、教会内部に至る。上部にパイプオルガンの床が張り出しているので、その先にある高い天井がすぐには見えず、歩みを進めるにつれて、その空間に広がりを体験できるようになっている。いつも思うのだけど、シザの空間は写真で見てもどうもその魅力が伝わりにくく、こうして現地を訪れてようやくその意図が分かることばかり。

教会内部に足を踏み入れると、高い天井の全貌が現れると同時に、目線の高さでズバーンと切り取られた超横長の窓から、教会の東側に広がる山並みの景色を一望することが出来た。ポルトガルの強烈な日光を遮るためだと思うのだけど、シザの建築は開口部が最小限に切り詰められていて、非常に内向的な空間であるように見えたりするのだけど、実際にこの空間を歩き回ってみると、要所要所で人間の目線の高さから視界が開けるので、むしろ外とのつながりを強く感じるくらい。

シザの窓についての考え方で面白いインタビューの訳が知人のサイトにあったので、一部を抜粋させてもらいました。(とても興味深いインタビューなので、ぜひ全文読まれることをお勧めします。)

Q: クライアントは大きな窓を欲しがるのではないのでしょうか?小さな窓を創る事を理解しますか?

R: 文句を言う人が多いですね。「美しい風景の前では、それらを見渡す展望台を創るべきだ」と、そう考えているのです。その様な時、私は何時もこう答えます:「それは違う」と。「美しい風景を見続ける事は人間を心から疲れさせるだけだ」と。風景を望む事は「押し付け」になるべきではなく、それを見るかどうかと言う「選択肢」であるべきなのです。

教会の天井は真っ白で巨大な扁平な面。ただその単調さを感じさせない工夫が素晴らしくて、左側の膨らんだ壁が平面のシンメトリーを崩すように食い込んできていること、またその膨らんだ壁に設けられた高窓からの光が、壁の懐で反射させられて天井を照らし出すことで、時間の経過のよって移り変わるような光の表情が天井に与えられている。膨らんだ壁は教会内の音響性能を向上させる意味もあると思うのだけど、片隅に設けられた水盤から落ちる水音が、教会内に響き渡る仕掛けもとても印象的で、シザはこの教会で感じる「音」についてもかなり意識して設計していると感じられた。

かなり質素な素材で作られた教会だけど、世界の数ある教会建築の中でも傑作の一つに加えられていい作品だと思う。シザが今まで手がけた教会が、僕の知る限りこの一つだけ、というのが不思議ではあるのだけど。

シザの建築でよく見られる、扉や窓の水切り石のディテール。こういう、他の国では考えられないような丁寧な仕事がシザの建築だけでなく、ポルトガルの建築のあちこちに見られたのがとても印象に残っています。ポルトガルはEU加入後もそれほど景気が好転しなかったので、地元の職人が移民に職を奪われることも他のEU諸国に比べて比較的少なく、今でも質のいい人材を得やすいからだと聞きました。

そういう話を聞くと、景気の善し悪しは生まれる建築の善し悪しと関係がなくて、むしろ景気が悪いからこそ真に必要な建築について、真摯に考えることが出来るのでは、と思わされます。実際、人口が日本の十分の一、経済規模ではわずか二十分の一のポルトガルから、アルバロ・シザ、ソウト・デ・モウラという二人のプリツカー賞受賞者(建築界のノーベル賞にたとえられる賞で、日本人は過去4回選ばれている)が生まれているのです。

 

レンガドーム@Vilassar de Dalt

ラファエル・ガスタビーノがスペインで手がけた最大のドームが、バルセロナ郊外の街Vilassar de Daltにあります。テアトロ・ラ・マッサ劇場 Teatre La Massaです。

しばらくの間、使われずに放置されていましたが、数年前に改修されて再び劇場としてオープンしました。もともとレンガ露わしだったドームの外側も、今は板金で覆われています。

エントランス部分。向かって右側には併設のカフェがあります。

内部は直径17メートル、高さわずか3.5メートルというライズの低いドーム。

ドームの周囲は、鋳鉄の柱に支えられたボールト天井の客席が周りを囲んでいて、これがレンガ造の建築とは思えないほどの軽快かつ優雅な印象を与えます。

ドーム頂部からつり下げられた円盤は、照明と音響版、メンテナンス足場をかねています。改修前は、ここに直径4メートルの天窓があって、自然光が内部に取り込まれていました。

1881年にこのテアトロを完成させ、ガスタビーノはアメリカ大陸へ渡りました。

アメリカ大陸でガスタビーノが手がけた建物は1000を超えると言われていますが、その多作ぶりはトルコのオスマン帝国期の建築家、ミマル・シナン(1489-1588)を連想させます。

ミマル・シナンが初期に手がけたシェフザーデ・ジャーミー(1545)の大きさは直径19メートル、テアトロ・ラ・マッサは17メートルでほぼ同規模。その後、シナンが手がけ自らの最高傑作と位置づけている最大のドームがエディルネのセリミエ・ジャーミー(1574)で直径31メートルだったのに対して、 ガスタビーノがアメリカで手がけた中で最大のドームは、ニューヨーク大聖堂 Cathedral of Saint John the Divine (1909) の直径41メートルのドーム。同じ30年後にガスタビーノが手がけたものが、オスマン帝国の誇る大建築家であるシナンを軽く超えてしまっているわけです。

近代以前の大ドームの代表はローマのパンテオン(128)の直径43メートルがあります。正直、紀元前に43メートルのドームを建てたのは凄まじい偉業だと思いますが、これは頂部に直径8.9メートルもの天窓があり、壁の厚さも6メートルもあって、条件付き+ローマ帝国の力技で何とか実現しているわけです。

また、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のブルネレスキによるドーム(1434)も直径43メートルですが、これはドームのライズがかなり高い。ガスタビーノによるカタランボールト特有のライズの低いドームでの41メートルは、建築の歴史的に見ても大変な達成だということがわかります。まあ、ほとんど知られていないことなのですが。

ミマル・シナンは、「シェフザーデ・モスクはわたしの徒弟時代の、スレイマニエは職人時代、セミリエは親方時代の作品だった」と語ったと言われていますが、テアトロ・ラ・マッサはガスタビーノにとってアメリカに旅立つ前、徒弟時代の最後の作品として位置づけられます。モデルニスモ時代のカタルニアボールト工法による建築の一つの到達点として、必見に値する建築だと言えるでしょう。

2008-2009にかけて、テアトロ・ラ・マッサではガスタビーノの死後100年の記念事業として、第一回ガスタビーノ・ビエンナーレが開催されました。地元カタルニアの研究者だけでなく、アメリカのガスタビーノ研究者を招き、ガスタビーノの業績を国際的な視点から再評価するイベントでした。

京都では近代建築の巨匠前川國男の傑作の一つ「京都会館」を、そもそもそんな施設が必要なのかどうかも怪しい「オペラ劇場」に大規模改修しようという「京都会館問題」で揺れいてるところですが、こんなカタルニアの田舎町の小劇場でさえ、きちんとオリジナルを尊重して改修されてその価値を評価共有しようと努力がされていることなど、建築という文化遺産の継承の仕方としてホントに見習いたいところです。

レンガドーム行脚@バルセロナ

日本から来られた東京理科大学の熊谷亮平さん、筑波大修士の落合さん、バルセロナ在住のレンガ職人谷口達平さんとともにバルセロナのレンガドーム行脚を決行しました。

バルセロナのレンガ建築は、カタランボールト工法(もしくはカタロニア・ボールト工法)と呼ばれる、独特の工法でつくられています。その特徴は特にドームやボールトなどの形状の天井の作り方に現れていて、ローマ時代のようなレンガをサポートする型枠を使わずに、薄焼きのレンガを速硬性のセメントや石膏で固定しながら、丈夫な構造をつくってしまうというもの。

上の図はそのレンガ工法の発展の様子を示した模式図。左がローマ時代の型枠工法、中央が中東やアフリカで発達した日干しレンガを使った型枠無し工法、右は薄焼きレンガを使ったカタランボールト工法。

見学初日は、まずはバルセロナの拡張地区と呼ばれる地域にある工業大学の正門前に集合。ここの建物は今は大学として使われていますが、もとはバトリョ工場といってあのガウディに自邸カサ・バトリョを依頼した資本家バトリョ家の紡績工場だったところ。そしてその建物を手がけたのが、バレンシア出身のレンガ職人ラファエル・ガスタビビーノ。彼はその後、アメリカ大陸に渡ってこのレンガ工法をアメリカに広めています。

ニューヨークのセントラル駅などラファエル・ガスタビビーノの手がけた仕事は今でもアメリカ国内に300以上残っているとのこと。カタランボールト工法がカタルニアというスペインの一地方のローカルな技術でなく、南北アメリカ大陸にも広がる国際的な存在になったのは間違いなくガスタビーノの存在が大きい。

今は教室として使うために区切られていますが、古い資料によるとかつては鋳鉄の柱の上にレンガ造のドームが連続する、大空間だったらしい。

工場は一層分掘り込んだ地下部分に設けられていて、それぞれのドームの天井にはこんな風に天窓がついていた。

その後、谷口さんと合流してバルセロナの職人訓練校、ガウディ・インスティテュートへ。ここでは今でもカタランボールトやエスグラフィアドなどスペインの伝統的な左官工法を学ぶことが出来る学校。谷口さんの出身校でもあります。

まずは典型的なカタランボールト工法による階段を見学。伝統的な工法では15ミリ厚のレンガを使うのですが、ここでは現代の穴あきレンガを代用しています。

現役の教官に色々と具体的な工法のコツをヒアリング。

仕上がるとこんな感じの優美な曲線を持つ階段になる。

敷地内にあったレンガ造のドームも解説をお願いする。

このドームは四本の柱の上に乗っていて、ドームから柱の上部にかかる水平力に抵抗するために、柱の上部をつなぐ鉄筋が見えます。

レンガ造で切り妻屋根を建設する時はこんな風につくる。

その後、谷口さんが親方のジョルディさんと手がけたバルセロナ郊外の街マスノウの住宅を見学に。この建物の上部の増築部分がレンガドームで出来ている。

一辺7m四方の見事なレンガドーム。簡潔な形だけに、ひときわ美しい。また、このドームは断面の形状がどこで切っても同じために、四辺の壁のアーチが決まればガイドも型枠も全く使わずにレンガを積むことが出来るという、非常に合理的な形になっているのですが、その意味がわかるかな?

ここで使っているのは厚さ15ミリの昔ながらの薄レンガ。それを三層に重ねただけの薄いドーム。

建物のクライアントは画家の夫妻で、お二人のアトリエ空間になっている。住宅部分はこの下にある。

美しいレンガの天井。

屋上の屋根の厚みは10センチ弱、防水層も無いですが雨は漏らないとのこと。この現場からは地中海が見えるので、水平器が必要なかったらしい。確かに、水平線と比べてみれば、これほど水平な基準はあり得ないですからね。

その後、谷口達平さんの親方のジョルディさんによるカタランボールトの工事現場を見学に。既存の住宅の庭部分にボールト屋根をつくり、その上を平らに舗装して駐車場にするとのこと。

一層目に15ミリの薄レンガ(手作りなので表情に味わいがある)、二層目三層目は現代の穴空きレンガ、目地を重ならないようにずらして積んでいる。

アーチの形を型板で作り、それを水平に移動させることでレンガの固定する位置を正確に管理している。

今ではバルセロナでもこの工法を知る人は少なく、とても貴重な経験をさせてもらいました。ジョルディさんは出身地であるバルセロナ郊外の小都市マスノウを中心に仕事をしているので、古くからの知人との信頼関係で今でも仕事があるようですが、大都市ではどうしても移民の安い賃金と比べられ、こうした特殊な技能は失われていっています。それでも、50年以上前のバルセロナの建築には、公共建築でも住宅でも基本的にはこの工法が使われているので、この工法を念頭に置いてバルセロナの建築を見ていくとそのデザインの由来がよくわかることが多いのです。

充実した一日のシメは、北バスターミナル近くの「斎心面館Ⅱ」の手打ちラーメン。旧「斎心面館」は違法経営がばれて閉店したらしいのですが、その後その店の隣に「斎心面館Ⅱ」として再出店したというツワモノの店。中国人が詰め掛ける店というだけに、確かにうまいし安い。長期旅行でスペイン料理に飽きた人にはお勧めの店。