空気を読め@日本の社会

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最近、日本とのメールのやり取りで「空気を読め」というお小言を頂戴した。そういえば以前にも僕の振る舞いに「お前は空気が読めない」とぼやく友人もいたし、どうやら自分は一般的な日本人と比較すると「空気が読めない」傾向があるらしい。
ただ、「空気を読め」ってのは嫌な言葉だな,とつくづく思う。もともとこの言葉はその場の雰囲気を汲んで上手く立ち回れる人のことを「誉める」ために使われていたと思うんだけれど,今ではむしろ「空気が読めない人」を見つけて、「非難」や「嘲笑」するために使われるようだ。「できる」人を誉めるための言葉が、いまでは「できない」人を貶める言葉になったわけだ。
「個人」を守る集団として「社会」があって、そのための最低限のルール(法律とか道徳とか)を守る必要があるのは分かる。ただ、さらに「空気」とかいう見えないルールを強要されて「個人」が「空気」のようにならなくてはいけないのなら,もはや「個人」が「個人」でなくなってしまって、本末転倒な気がするんですけどね。「世界で一つだけの花~」なんて歌も流行ったりしたけど、「空気」を読んでたらそんな花が咲けるわけがない。
「空気」を的確に読んで立ち回れる人はそれはそれで素敵だと思うけど、あえてそれを無視して自分の思うように振る舞う自由もこの社会にはあると思うんですよね。また、周りの人もそれを受け入れる度量を持つべきだと思います。なにより、「誉める」ための言葉が「けなす」言葉に変わってしまう世の中って、ちょっとどうかなと日本を遠く離れた地で思うわけです。

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2 Comments

  1. kobayashi

    そんなことは、ありませんです。
    森田さんは十分空気を読んでましたです。
    私は、人の事なんか・・・てな感じで、自分中心です。
    正気と狂気のなかで、銅版画に集中します。ひとの意見は
    『そんなのかんけいねい!!』ですネ。
    いい作品が全てです。

  2. morikazu

    その点、スペイン人は『そんなのかんけいねい!!』っていう割り切りを、本人も周囲の人も認めているのがいいです。ダリやピカソやガウディみたいな天才が生まれるのがよく分かります。

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