国を挙げてのリフォームブームである。田舎の茅葺きの古民家、市街地に残る町家をはじめ、果ては昭和の高度成長期の建て売り住宅、マンションやオフィスビルまでもがリフォームの対象になっている。よく考えてみれば、新築なんておめでたい話があちこちで聞こえたりするのは自然災害や戦争など、余り喜ばしくない出来事の残り香なのであって、本来建物はリフォームされ続けることで世代を越えて受け継がれてきたのである。新築の建物がバンバン建ったこれまでがむしろ異常な時代だったと思えばいい。古民家再生は、我々の祖先がずっと昔から取り組んできた永遠のテーマなのだ。

ここ数十年の「新築ブーム」のあいだには住まいを支える様々な技術や材料が失われてしまった。今あるのは、「安く早く」建てる技術と工業化された材料だけである。古い技術は決して万能ではないのだけれど、古い部分をキチンと元通りに直すためにはどうしても必要な技術である。腐った柱に「根継ぎ」を施し、痛んだ土壁を塗り替える作業など、かつて当たり前だったことを当たり前のようにこなせる職人がとても少なくなってしまった。茅葺き屋根のカヤや土壁の下地である割竹など、手に入れるのも困難な材料も多い。

古民家再生の可能性は、そうした困難の先に広がっている。まずは、失われかけている古い技術や材料を掘り起こし、痛んだ部分を修復しなくてはならないだろう。現代的な生活のためには古いものばかりではなく、新しい技術や材料もどんどん取り入れる必要もあるだろう。材料でいえば、上はチタン、下はダンボールだって、使えるはずである。一般の人々が参加しながらの住まいづくりも可能になるだろう。事実、古民家に住もうとする人の多くが、自分の手も動かしてその再生を楽しんでいる。そうした試みすべてが、「新築ブーム」の時代のゆがんだ住まいづくりでない、様々な選択肢を垣間見せてくれるはずだ。

真に豊かな生活のための条件とは、色んな選択肢があることである。たとえば自分の住まいを手に入れるために、手持ちの「時間」や「資金」に応じて「技術」や「材料」を選べること、さらに「買う」だけではなく自分で「作る」という選択肢もあったりすることである。職人だけで建てた家もあれば素人だけで建てる家があっても良い。百億円の家がある一方で、百万円の家があっても良い。古民家再生には、「新築」では考えられなかった、さまざまな住まい方の可能性を見ることができる。

おそらく我々が生きる21世紀という時代は、過去と未来が同じ時間に共存しているような、混沌とした世界になるだろう。それは「進歩」という価値観に終止符が打たれて、古いものも新しいものもすべてが等価に存在して自分の人生を彩る可能性があるという世界だ。最近のモンゴルには、伝統的なテント住居であるゲルにパラボラアンテナを建てて衛星放送を楽しむ者もいるという。古民家をはじめとする過去の建築物の再生は、そうした21世紀の風景を作るための欠かせない作業になるはずである。

「古民家スタイルNo.1」ワールドフォトプレス社 (2003年 掲載)