今年の夏に事務所を移転した。
と言っても、以前の事務所から直線距離で30mくらいの、駐車場として使われていた倉庫を改修した小さな小屋が、新しい事務所だ。以前の事務所よりすこし高い場所にあるので周囲の見晴らしも良く、大原と鞍馬をむすぶ東海自然歩道に面しているので、毎日ハイキングをする人たちが模型を物珍しそうに覗き込みながら通り過ぎていく。田舎とは言っても、季節の変化といろんな人の往来で、退屈することがない事務所だ。

つい先日、中谷礼仁さんの「市街化調整区域のBuildinghood」という文を読んだ。中谷さんの文章にはいつも刺激を受けているが、今回は特に我々の事務所のアイデンティティに関わることなので、この文に刺激されて実際に市街化調整区域で住まい、設計事務所を営むことについて記してみたい。

我々の事務所は京都市左京区の静原という地区にある。京都市内から車で30分ほど走るだけで昔ながらの瓦屋根の家並みが残っているのは、ここが市街化調整区域に指定されていて、建物の新築が原則認められない地域にあたっているからだ。だから我々の事務所も、自宅も、既存の建物を改修して使っている。

中谷さんの文では、「日本のこれまでの建築家、そして現在の建築デザイナーは、そもそも日本を市街化するための先兵として自ら歩んできた」とある。確かに、少なくとも2000年以前の日本の建築家の仕事は新築の建物の設計がほとんどだったし、改修の仕事を手がけてもそれを作品として発表する機会もほとんどなかったと思う。

一方で、自分の今までの仕事は、文化財の修復現場で左官職人の修行をしてきたこともあって改修の仕事がほぼ半分を占めていて、事務所にいたっては、「改修しかできない」市街化調整地域に構えてしまっている。ビジネスとして設計をやる上では、最悪の条件だけど、直感的にそれが面白いのでは、と考えてここに移住したのが10年前のこと。

そうして気が付いたのだが、普段一緒に仕事をしている大工や左官、庭師の仲間たちの多くが、住まいは別としてその仕事場を、市街化調整区域に構えていることが多いということである。今も何かあると車を5分ほど走らせたところにある大原の彼らの工房で、打ち合わせをすることができるので、実は設計をするのにも案外便利だ。

そして静原の住人の生業もまた、昔から大工や左官など建設関係が多い。だから家の修繕などは、市内の工務店に頼まなくても、地縁血縁をたどって簡単に済ませてしまえる。「職人はいる、ただ、建築家はいないし、あまり必要とされていない」、それが自分が最初に感じた「市街化調整区域のBuildinghood」の一側面、この地域の建築事情の実際である。

ということで、自分がこの集落で最初に頼まれた仕事は、神社の漆喰の塗り替えだった。もちろん建築家としてではなく、職人としての腕を見込まれてのことだ。ようやく最近になって、(静原ではないけれど)いくつか市街化調整区域での設計の仕事を依頼されるようになってきたところだ。

ところで、オランダの建築家レム・コールハースは「クロノカオス」というテキストで世界の12%ものエリアが歴史保存のために建築家が関わることができなくなっていると指摘していて(本当にそんなにあるのかとも思うが、少なくとも今後減ることはないだろう)、実際に我々が現在手がけている京都市内の建物も、よく調べると伝統的建築物保存地区(伝建地区)の保存対象建物に指定されていることがわかって(オーナーも知らなかった)、建物の外観は全く変えられないし、解体もできないし、ほとんど何もできないくらいの規制の厳しさに唖然とさせられている。

面白いのは、このエリア(伝建地区)は主に人間が作り出したもの、つまり「建築」を保存の対象にしているのに対して、市街化調整区域は「緑地」を保護することを対象にしていて、保存の対象が地と図の関係になっていることである。つまり、同じくらい厳しい保存の条件があるけれど、建築に関して言えば、市街化調整区域はほぼ自由なのである(改修しかできないけれど)。

そう考えると、事務所のある静原は、文化財はひとつもない市街化調整区域だけど、だからこそどんな改修でもできる建築家にとって未開のフロンティアということになる。そして魅力的な民家がごっそり残っているので、うまく改修してメンテナンスしていけば、過度に観光に頼ることなく、同時に過度に歴史に縛られることなく、創造的に暮らすという、魅力的な挑戦ができる地域だといえる。

京都市内の町家や、他の歴史ある地域の民家についても考えてみる。数年前までは、こうした民家は文化財に指定されているものでない限り、経済的には役に立たないお荷物として見られていて、お金が用意できる持ち主であればさっさと解体されて新しいマンションやオフィスビルが建てられていた。

ところがここ数年のツーリズムの爆発的な需要の増加で、文化財であるかないかは関係なく、地域の文化や歴史を身近に感じることのできる民家の価値が一気に見直されるようになった。賃貸マンションを建てても将来の空室が不安だけど、民家を現代の需要に沿って改修すれば、飛ぶように売れるし、お店を開けばわんさと人が押し寄せてくるのである。

それまで「再開発」の対象だった民家は、「保存」の対象でなかったことと、ツーリズムの隆盛による価値観の変化を幸いに、一気にその価値が見直されつつある。それまで「お荷物」でしかなかった「文化」としての民家が、「売れる」「もうかる」となった途端の世の中の変化の速さには正直驚かされているけど、それはポジティブな変化だと受け止めることにしたい。

というわけで、我々の事務所は「市街化調整区域」で「民家」の改修の経験豊富な事務所ということで、期せずして「調整」的な建築デザイン環境の最前線にいるのかもしれないなと気づかされた。そして何より、「市街化調整区域」で暮らし、働くことは楽しい、ということもまた声を大にして伝えたい事実なのである。