ケルンから電車で30分ほど走り、最寄り駅から一時間ほど歩いた村はずれの麦畑の中にピーターズントーの設計した小さなチャペルがあります。

麦畑のなかをてくてくと歩くと、丘の上に見えてくる。

アプローチ。始まりは建物の中心に向かい、途中で扉に向かって軽く折れている。

いびつな平面の形をしているので、見る方向によって建物のプロポーションが変わる。

扉が三角形。

版築でつくられている。先日のコロンバの庭にあったものと同じ質感で、土の色がきれいに出ている。ただ、土だけだったら雨で溶けてしまうので、土に何か混ぜて強度を出していると思われる。 版築の作業は、この教会のある村の住人の有志が自力施工で少しづつ進めたたらしい。

内観にみえる筋は、内側の型枠としてつかった丸太の跡。壁が完成したあとで、丸太に火をつけて燃やしたために壁が黒くなっている、と言われているが本当か???

エントランス部分の見返し。

型枠を固定するためにできた、壁を貫通している穴にガラス玉をはめ込んであるので、外の光が内側に漏れてくる仕掛け。

床の模様は、鉛を溶かして床に流したもの?

天井を見上げるとこんな感じ。丸太の上を束ねて円錐状にした形がそのまま、内部空間の形になっている。 屋根は無くて、雨がチャペルの内側にも降り注いでくる。

駅への帰り道、通りがかった車をヒッチハイクしたら、止まってくれたお爺さんは、なんとあのチャペルの持ち主の方でした。教会を建てた経緯を尋ねると、「ケルンのコロンバを見てピーターズントーに直接手紙を書いたんだ」、と誇らしげに語ってくれました。

追記; 先日の投稿で「日本の左官職人は今でも「勘と経験」が頼り」と書いたところ、同じ京都の建築家の岩崎泰さんから、日本の左官職人も「最近はとても科学的にアプローチされる方が多いように感じます。」というメッセージをもらいました。岩崎さんのブログでも出てくる佐藤さん奥田さんの取り組み方を知ると、「「勘と経験」が頼り」というのはあまりにも乱暴で失礼な表現だったな、と反省しています。

あの記事の本意は「経験と勘」批判というよりは、 かつての柔道が「武道」から、五輪に導入後スポーツとしての「JUDO」へと変貌したように、 ヨーロッパの左官が、現場で天然の素材を調合する伝統的な左官から、 もっと何でもありの、「SAKAN」みたいなものになっている、と感じたことでした。 コロンバも今回のチャペルも、見た目は土の質感は全然失われていないのに、 触れてみると土をは思えないくらいガチガチに固まっていて、 そのおかげであんな非常識な版築の使い方が可能になっています。 おそらく、日本の左官では使うことのない素材を配合しているのでしょう。

数年前、粘土のことを調べに岐阜県の陶器メーカーを訪ねたことがあったのですが、 その会社のエンジニアの人は、土壁を水に強くする方法を尋ねると、 「ベントナイトを混ぜれば良い」とこともなげに応えてくれたのですが、 今回の版築を見て、あの陶器メーカーの技術者さんの顔を、久しぶりに思い出しました。