アーヘンに土壁のセミナーに行くということをバルセロナ在住の建築家の友人にお話ししたら、「アーヘンにミース・ファン・デル・ローエ(現代建築の巨匠の一人)の作品ってありませんでしたっけ?」と聞かれたので調べてみたら、アーヘンに彼の作品自体はなかったのですが、実はミースの出身地はアーヘンだということがわかりました。

彼はアーヘンで1886年に、墓石や暖炉を彫刻する石工の息子として生まれたのですが、実家のあった場所も二つ候補があって地元でも意見が分かれてたりして、一般にもあまり彼の出身地としてアーヘンは知られていないのですね。

でも、アーヘンから電車で一時間半ほどの近郊(でもないか)の街クレフェルドKrefeldにミースの住宅建築がある、という情報を得たので見学してきました。その名もランゲ邸とエステルス邸 Lange & Esters House (1930)、モダンアートの収集家のための住宅として計画されたそうですが、今では美術館として使われています。

駅から数キロ離れた緑豊かな閑静な住宅街に建っている。

ミースの作品としては珍しく、外壁はレンガ。

シャープな真鍮製の呼び鈴と郵便受け。

プランは雁行型になっている。

大きく枠取られたガラスの開口の下には、暖房が組み込まれている。

二階廊下。部屋の天井に比べて廊下部分は40センチほど天井が低く抑えられている。

二階の室内にも大きな開口。テラスに出られるよう扉が設けられているが、ガラスのサイズは揃えてあり、日差しが強い時はガラス面をシャッターで覆うことができる。

窓まわりの詳細。

広々とした二階のテラス。

庭から室内を覗く。雁行する部屋に設けられた窓を通して、向こうの庭まで視線が貫通している。

一階部分のテラス。ここでも視線が貫通している。

庭からの外観。

庭から見ると、建物は大きな基壇の上にのせられている。

駐車場から庭へのアプローチ。

この建物が建設されたのが1930年、ミースの代表作であるバルセロナパビリオンが建設されたのが1929年、同じ時期にレンガという古典的な材料でこんな作品をつくっていたとは知らなかった。バルセロナパビリオンが、気候の温暖なバルセロナでの万博用のパビリオンだったことを考えると、気候の厳しいドイツではミースの建築もこのように地域性に対応してローカライズされる、ということなのでしょう。ただ材料は違っても、歩みを進めるごとに新しい景色が展開するようなシークエンシャルな空間の性質は、バルセロナもここも変わらないですね。

こちらはすぐ隣のエステルス邸。同じく美術館として使われています。こちらは展示されていた作品がプラスチックを溶かしたような立体作品で、日光に当たって異様な匂いが室内に充満していたので、早々と退散しましたが、ランゲ邸と同じようにとても清々しい住宅でした。アーヘンやケルンから半日あれば足を伸ばせます。

追記/クレフェルト市は僕も大好きな現代美術の巨匠、ヨーゼフ・ボイスの出身地でもあるそうです。