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あまりにもベタな話題で恥ずかしいのですが、やっぱりどう考えても日本中に張り巡らされた電柱と電線は、我々の生活する場所に必ず存在する要素として醜すぎるのではないか、と最近気になって仕方が無い。
特に京都市内では「景観法」とか「風致地区条例」とかで新築の建物の意匠にあれやこれや規制があって苦労させられるのに、その前面道路には例外なくこんな感じで秩序も美観もへったくれもなく電柱と電線が跋扈している。建物の完成後にその我がモノぶりを見るにつけ、徒労感にとらわれるのが常なのです。料理人で例えると、精魂込めてバッチリの味付けで仕上げた料理の上に、いきなりケチャップをかけられる気分というか。
建築が少しでも傾いていたら欠陥工事だと大騒ぎになるが、電柱は傾いていようがお構いなしらしい。建築は「美観」に沿うように前もってデザインの承認を得なくちゃいけないが、電線は場当たり的につなげてしまっても用さえ果たせばそれでいいらしい。おなじ公共空間にモノをつくる仕事なのに、この差は何だ?
日本の道路なんてあちこちでしょっちゅう各種配管工事のために掘り返されているのだから、道路埋設するなんてあっという間だと思うのだが、要するにまだ行政にやる気がないのだろう。「景観法」とか「風致地区条例」ができたのもここ数年の話だから、近い将来この野放し状態の電柱くんと電線くんともおさらば出来ることを願いたいものだ。もしくはこちらがその隣に建築を設計するのが恐れ多いほど、美しくデザインされた電柱と電線なんてものができるのなら、見てみたい。
こう書くとまずはお前がデザインしてみろよ、と言われそうだな。いや、ぼくは埋設派ですのでご勘弁を。
RuBis-Mika
シャンデリア風電柱で、電線は透明!にしたらおもしろいけれども。。。。
でも、私も埋設派です^^