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ラファエル・ガスタビーノがスペインで手がけた最大のドームが、バルセロナ郊外の街Vilassar de Daltにあります。テアトロ・ラ・マッサ劇場 Teatre La Massaです。

しばらくの間、使われずに放置されていましたが、数年前に改修されて再び劇場としてオープンしました。もともとレンガ露わしだったドームの外側も、今は板金で覆われています。

エントランス部分。向かって右側には併設のカフェがあります。

内部は直径17メートル、高さわずか3.5メートルというライズの低いドーム。

ドームの周囲は、鋳鉄の柱に支えられたボールト天井の客席が周りを囲んでいて、これがレンガ造の建築とは思えないほどの軽快かつ優雅な印象を与えます。

ドーム頂部からつり下げられた円盤は、照明と音響版、メンテナンス足場をかねています。改修前は、ここに直径4メートルの天窓があって、自然光が内部に取り込まれていました。

1881年にこのテアトロを完成させ、ガスタビーノはアメリカ大陸へ渡りました。

アメリカ大陸でガスタビーノが手がけた建物は1000を超えると言われていますが、その多作ぶりはトルコのオスマン帝国期の建築家、ミマル・シナン(1489-1588)を連想させます。

ミマル・シナンが初期に手がけたシェフザーデ・ジャーミー(1545)の大きさは直径19メートル、テアトロ・ラ・マッサは17メートルでほぼ同規模。その後、シナンが手がけ自らの最高傑作と位置づけている最大のドームがエディルネのセリミエ・ジャーミー(1574)で直径31メートルだったのに対して、 ガスタビーノがアメリカで手がけた中で最大のドームは、ニューヨーク大聖堂 Cathedral of Saint John the Divine (1909) の直径41メートルのドーム。同じ30年後にガスタビーノが手がけたものが、オスマン帝国の誇る大建築家であるシナンを軽く超えてしまっているわけです。

近代以前の大ドームの代表はローマのパンテオン(128)の直径43メートルがあります。正直、紀元前に43メートルのドームを建てたのは凄まじい偉業だと思いますが、これは頂部に直径8.9メートルもの天窓があり、壁の厚さも6メートルもあって、条件付き+ローマ帝国の力技で何とか実現しているわけです。

また、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のブルネレスキによるドーム(1434)も直径43メートルですが、これはドームのライズがかなり高い。ガスタビーノによるカタランボールト特有のライズの低いドームでの41メートルは、建築の歴史的に見ても大変な達成だということがわかります。まあ、ほとんど知られていないことなのですが。

ミマル・シナンは、「シェフザーデ・モスクはわたしの徒弟時代の、スレイマニエは職人時代、セミリエは親方時代の作品だった」と語ったと言われていますが、テアトロ・ラ・マッサはガスタビーノにとってアメリカに旅立つ前、徒弟時代の最後の作品として位置づけられます。モデルニスモ時代のカタルニアボールト工法による建築の一つの到達点として、必見に値する建築だと言えるでしょう。

2008-2009にかけて、テアトロ・ラ・マッサではガスタビーノの死後100年の記念事業として、第一回ガスタビーノ・ビエンナーレが開催されました。地元カタルニアの研究者だけでなく、アメリカのガスタビーノ研究者を招き、ガスタビーノの業績を国際的な視点から再評価するイベントでした。

京都では近代建築の巨匠前川國男の傑作の一つ「京都会館」を、そもそもそんな施設が必要なのかどうかも怪しい「オペラ劇場」に大規模改修しようという「京都会館問題」で揺れいてるところですが、こんなカタルニアの田舎町の小劇場でさえ、きちんとオリジナルを尊重して改修されてその価値を評価共有しようと努力がされていることなど、建築という文化遺産の継承の仕方としてホントに見習いたいところです。