自宅前の小さな畑の片隅に、ショボくれた小さな樹が一本ある。あまり存在感の無かったその樹が、実はお茶の樹だということが最近、近所の方と話していて分かった。そういえばこの樹は、集落のあちこちにポツポツと植えられている。
入って一気に新しい葉が芽吹いてきていて、ほらこの通り。
そこで、お茶の新芽を摘んで緑茶作りに挑戦してみることにした。インターネットで調べれば、そういった情報はたくさん出てくる。
まずは、摘んで来たお茶の新芽(かなり開いている葉っぱも含めてだけど)を、ネットの情報にしたがって沸騰した水の蒸気で二分間だけ蒸してみた。そしてその蒸した茶葉を軽く温めたホットプレートの上に広げて、徐々に乾燥させる。ある程度乾いてきたら、両手で茶葉を掴んで揉むように摺り合わせると、再び水分が出てくるのでまたそれを乾燥させる、という作業を繰り返す。 ちなみに紅茶とかウーロン茶は、この過程で湿ったまましばらく放置して葉っぱを発酵させることで、茶色い色に変色するそうです。
お茶の葉っぱって、摘んだ時はほとんど何も匂いがしなくて、蒸した時も青っぽい匂いが少しするだけなのですが、この乾燥させる過程で、あのお茶の香ばしい匂いが一気に溢れ出てきます。不思議ですね。
さっそく急須に入れて、お湯を注いでみた。縮れて固まっていたお茶の葉が、お湯の中で再び広がってくる。
お味の方は、最初にイメージしていた玉露の味ではなくて、桜餅の香り(具体的には桜餅を包んでいる塩漬けの桜の葉の香り)がする、不思議なお茶になりました。
お茶に限らず料理でも建築でも何でもそうだと思いますが、普通はどこかで加工されて市販されているモノを原材料までさかのぼって自分で一から造ってみる、というのは間違いなく面白い体験ですね。どうしてだろう、と自分なりに考えてみて思ったのは、たいていの加工品は、一定の品質を確保するために素材が本来持っている性質のほんの一部しか利用していないのですが、我々のような素人が思いつきで加工してみると、普段は発揮されていない色々な隠れた性質が現れてくるからではないか、ということ。
特に現代の大量生産品は、効率よく生産して利益を上げるという目的のために素材の良さをずいぶんと犠牲にしているはずで、「昔ながらのやり方」というのは、そうした素材が本来持つ「豊かさ」を取り戻すための、一番の近道なのかも知れないなと、桜餅風味のお茶を飲みながら思うのでした。
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