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5/12、市内へ出かけた帰り道に借景庭園で有名な円通寺へ。
玄関から細い廊下を歩いて縁側脇の戸袋にぶつかり、そこで左に折れると「ぶわっ」という感じに右側に比叡山を背にした庭園が現れる。
水平に刈り込まれた生け垣と杉で切り取られたフレームの中の比叡山は、縁の入り口ではフレームの右端に頂があってそこからなだらかにつながる北山の峰々が見渡せ、歩みを縁の中央に進めるに従って比叡山もフレームの中央に移動してくる。
まさにこれが後水尾上皇のやりたかったことなのでしょう。たいていの写真では庭園の正面から比叡山をとらえたものばかりなので、この仕掛けはやはり現地に来ないことには体験できないもの。いやあ、京都に十数年住んでいながら、今さらながらに訪れるのが恥ずかしいくらいに見事でした。
ただ、創建時には庭の端から端まで水平に広がっていたであろう借景のパノラマが、いまでは近隣の住宅地を視界から隠すために大部分が竹や楓などの後年の植樹で隠されてしまっている。だから、この庭園の最大の魅力である人の移動とともに移り変わる庭園の景色は、鑑賞者の想像力で補完しながら体験するしかない状態。ほとんどの観光客はわずかに残ったフレームから比叡山が見える、縁の右側の方に集まって鑑賞している状態でした。
今でも庭園の生け垣のすぐ先で大規模住宅地の造成が進んでいて、まあこうして日本人は貴重な文化遺産を切り売りしながら、自分達個人のささやかな夢を叶えることに邁進しているわけなんですねえ。
個人の自由や利益を制限してでも公共の遺産を守ることが当たり前、と考えるヨーロッパの都市プランナーにとって、日本人が今でも「エコノミック・アニマル」に見えるのは仕方が無いことです。
庭を維持する和尚さんの悲痛な解説を聞きながら、なんとかならんのかね、そろそろ考えなあかんやろ、と思うのでした。
いなと
僕の好きな京都の庭の一つです。あと、大徳寺の高桐院、そして無隣庵。好きなの3つと言われたら、それらです。
morikazu.
いなとさん、おひさしぶり。京都に長年住んでいながら、はじめて円通寺にいってきました。大徳寺の高桐院はいまだに行ったことありません。だめですね、ぜひまた見に行ってきます。また京都にもあそびにきてね。