昨晩は、鈴木謙介 藤村龍至氏によるキックオフ・ミーティング「『1995年以後』を考える」のあと、AD&A galleryにて「ARCHITECTURE AFTER 1995」展オープニング。僕にとって1995年はちょうど海外を放浪している時で、ヨルダンからエジプトに向かう紅海上の船の上で、阪神大震災のニュースをエジプト人から聞き知ったことなど思い出す。卒業後は左官職人として建設現場に身を置いていたこともあって、その後のインターネットの普及にもほとんど縁がなく、自分のメールアドレスを持ったのもパソコンを購入したのも2000年になってから、という、かなり遠いところから『1995年以後』の状況を眺めていた、というのが実情です。
そんなことから、今回展示しているのはちょっと日本の建築とは馴染みのない、レンガ積みドームの模型、レンガを積む左官職人のコラージュ、レンガ建築の歴史をまとめたリーフレットの三点セット。リーフレットを見てもらうと組石造でドームをつくる技術の歴史的、地域的な広がりが一目で分かりますが、『1995年以後』の状況においても世界の一部の地域でレンガ建築は有効であり、また今までにない建築が生まれる可能性がある、ということが伝えられれば、と思っています。
最後に、リーフレットの末尾に付した文章を載せておきます。コルビュジエ設計のジャウル邸にレンガボールト天井が使われているのは有名な話ですが、ミースの建物にも使われていた、しかもおそらく本人も知らないところで、という興味深い話。
「バルセロナパビリオン (1929年 ミース・ファン・デル・ローエ設計)は近代建築の傑作として名高いが、実は建設当時の逸話で興味深い話がある。建設を請け負った当時の現場監督ファン・ベルゴス・マッソ氏によると、当パビリオンの大理石張りの基壇は工期の不足からミースの望んだ鉄筋コンクリート造でなく、当時バルセロナで広く使われていたカタロニア・ボールト工法というレンガ造でつくられたというのである。
このカタロニアボールト工法は中東、アフリカ地域のレンガ積み技法を起源に持ち、20世紀にはさらにスペインから南北アメリカ大陸に伝わって、マイノリティながらもインターナショナルな広がりをもつ技術の一つである。ミースの構想したユニバーサル・スペースは、スチールとコンクリートという世界のどの地域でも成立可能な素材によってその普遍性を担保されるはずであったにもかかわらず、その試みを実際に支えたのが別種の普遍性をもつローカルな技術だったという事実からは、近代建築を批判的に乗り越えるための示唆を与えてくれる。
「ブリック・ポッド」は、カタランボールト工法をはじめとする世界のいくつかの地域に伝わるレンガ造ドーム工法を用いた、タワー型ドームのプロジェクトである。積み上げたレンガを型枠や下地として、その上に繊維補強モルタルを塗り付けることで、組石造に適さない地震地域でも安全な構造体を建設することが可能となっている。この工法はスチールやコンクリートのようにあらゆる地域で使い得るものではないが、世界の一部の地域では現代でも非常に有用であると考えられ、このプロジェクトはその「マイノリティ・インターナショナル」ともいうべきレンガ建築の可能性を表現したものである。」
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