さる16日、高知工科大学の学生による仮想の都市プロジェクトの展示会「山田弐零零九」のオープニング座談会に呼んで頂いて、15年ぶりくらいに高知に向かう。

四国山地を北へ流れる吉野川の上流、大歩危小歩危渓谷を列車が通る。実は僕は大学時代に折りたたみ式のカヌーを背負って日本のあちこちの川を下り歩いていた時期があり、この吉野川は激流で知られていて、恐れをなして一度も挑戦せずじまいの川だった。
列車は急峻な斜面に這いつくばるように渓谷に沿って走り、斜面の上のほうにはこれまた斜面にへばりつくように民家が建っている。そんな山中の家々ののっぴきならない建ちっぷりを見ると、建築が本来持っている「切実さ」を久々に思いだした。
高知駅は内藤さんの設計だったと、駅についてプラットホームに降りてから気がついた。この爽快なスケール感は日本の駅舎にはあまり無かったものだ。
京都を早めに発って時間があったので、まずは今回の展覧会のコーディネーターである高知工科大学の渡邊菊眞氏のおすすめである、沢田マンションに見学に行く。

 『ウィキペディア』によると、

沢田マンションは、高知県高知市薊野(あぞうの)北町に、素人が独力独学で建てた鉄筋コンクリート造の集合住宅である。鉄筋コンクリート建築を専門職として手掛けたことのない者が、夫婦二人で(のちにはそのも加わって)造りあげた。通称、「沢マン」(さわマン)、「軍艦島マンション」。現況は、鉄骨鉄筋コンクリート構造、敷地550、地下1階地上5階建て(一部6階)、入居戸数約70世帯、約100人居住。増築に増築を重ねた外観から、軍艦島とともに並んで「日本の九龍城」とも呼ばれ、建築物探訪の名所のひとつとして知られる。

遠くから眺めても、屋上にそそり立つクレーンがよく目立つ。
アプローチからそのままスロープが立ち上がり、建物三階まで続く。これがまずこの建物のアクセスのしやすさと親しみやすさ、を演出している。そして建物南面には居室ではなく廊下がめぐり、
この廊下には洗濯物がはためき、プランターにはアロエやサボテンがもじゃもじゃ育っている。増築に増築が重ねられた建物全体を歩き回っていると、ギリシャのサントリーニ島の斜面に広がる集落を歩いた時の経験が思い出された。
屋上部分には沢田さん一家の住宅があり、テラスには地上と見まがうようくらい、土が敷かれて植物や樹木が繁茂している。
屋上には建材などを吊り上げたとおもわれる手製の!クレーンがあり、野菜の育つ畑と、なんと鳥小屋まであった。
その後、坂本龍馬記念館へ。
この印象的なファサードは、ほとんどの人が目にすることがなく、また内部空間からもあまり感じられることが無かったのが残念。
ふたつのボリュームの交点に生まれたガラスの面にも構造体がガシャガシャと現れてしまっているなど、僕には???に感じる点が多い建物であった。
その後足を伸ばした桂浜は、太平洋からのブアツイ波が押し寄せる、気持ちのいい場所だった。背後に険しい四国山地を背負った高知という土地にとっては、この太平洋こそが世界へ開かれた扉だった、ということが今回の訪問でよく分かった。
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しかし、高知はどこへいっても龍馬、龍馬だ。ただの草履にもこの調子で。
高知市内のギャラリーで行われている展示会「山田弐零零九」は、大学の立地する土佐山田市周辺の特有の地形や、古い地図から読み取ることのできた土地のオリジナルなコンテクストを、巨大な建築によって顕在化させていくという手法による、空想の都市計画の展覧会。展示の詳しい内容は、今後ウェブサイトにアップされる予定の内容にゆずるが、地域の空間を丹念にリサーチして、そこで得られた結果をもとに大変力強い空間のイメージが提示されている。実現を前提とした社会的なリアリティのある提案ではないが、そうでないがゆえに日常に埋没してしまっている地域の魅力を、具体的な空間として提示することに成功していて、こうした試みが地域の人々にどのように受け取られていくのか、とても興味深い試みだった。
翌日はこれまた内藤廣氏による牧野富太郎植物園の建物の見学に。
先日訪問した伊勢の海の美術館に比べると、スケール的にかなりこじんまりとしている割には、構造が複雑かつ大袈裟で、構造表現的すぎる印象を受けた。ぐるっと中央の庭を囲む軒下空間も、軒はきれいな曲線を描いているのに庭や回廊部分のデザインがうまくフィットしていないように感じられた。
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展示ケースの一部に使われていたのが、高知県のローカルな素材である土佐漆喰。土佐漆喰と土を混ぜた「はんだ」とよばれる配合の材料を、ぐるっと塗り回した仕上げで、僕好みの漆喰仕上げの一つ。
そんな高知訪問。