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7/1−2にかけて、3/11の震災で被害を受けた宮城県塩竈市の旧家亀井邸を被災調査に訪問しました。塩竈市の市外を見下ろす小高い丘の上にある、木造二階建ての和風建築に洋館が付随した瀟洒な建物でした。

まずは壁修復のアドバイザーとして今回自分を推薦してくださった福島県の建築家佐藤敏宏さんと現地を確認。亀井邸自体の損傷は洋館の洗い出し仕上げや和室の砂壁が一部剥離した程度で、構造的には何も問題は無いと申し上げた。壁の修復も、一昔前の技術なので多少苦労はあるでしょうが、決して難しい仕上げじゃない、大丈夫だ、と太鼓判を押す。

被災地では外壁の損傷程度でも、半壊だの全壊だの持ち主の不安を煽るような建築関係者が多く、地域の貴重な建築遺産がどんどん解体されていっているとのこと。持ち主が余程その建物に愛着がない限り、たいていはその建物の維持管理が家族の重荷になっており、良い口実とばかりに持ち主も解体に同意するらしい。地震や津波で失われたのならともかく、こうして震災後のどさくさにまぎれて貴重な建築が失われていくのはもはや人災としか言いようがない。復興のために建築家ができることは、「建てること」に興味が向かいがちだけれど、こうして現地を訪問してみると「壊されるのを止めること」も大事な役割だと思わされる。

二階和室の砂壁は、木ずり下地から土の部分がごっそりはがれてしまっていた。土を下地に定着させる「ひげこ」が見えるが、下塗りの漆喰に埋め込んであって、土の部分に埋め込んでいないので、土と漆喰の間で剥離が起きているように見える。

その後、空き時間を利用して塩竈市を歩いてみる。塩竈市は湾の内側にあるので津波の直撃は受けていないが、それでも市内は2〜3m程度は浸水したという。

おもむろに漁船が転がっていたりしてぎょっとする。

市内は地盤沈下がひどく、ビルの出入り口に段差ができていたり、港近くでは駐車場が浸水していた。

佐藤さんと塩釜港からフェリーで桂島から朴の島を巡ってみた。

浦戸諸島の島々を順々にめぐる、生活のためのフェリー。

遠目には美しい島々だが、港は軒並み地盤沈下して、満潮時にはすぐに浸水しそうな状態。

ただ、こうした被災地でも現地の人たちの生活は淡々と続いていて、フェリーは通勤通学買い物など地元の人達の乗降で賑わっていた。

津波が到達した集落は、まったく復旧の手がつけられていない状態。

翌日、仙台市の海沿いの地域を見て回る。すさまじい破壊力に呆然とする。

海岸沿いの防風林の松が根こそぎ引きちぎられていた。

新興住宅地が跡形もなく消えていた。地面に基礎があり、庭木があることからようやくここが住宅地だったということが分かるような状態。。。

被災地の復興にはまだまだ年月が必要ですが、今後も微力ながら力になれることがあれば、と思っています。

まずはお声かけ頂いた佐藤敏宏さん、塩竈市亀井邸の関係者の方々、ありがとうございました。